FC2ブログ
トキワ、シュウマツドリ
創作置き場
-2-ダイヤモンドの歯車は噛み合わない



 「面白いもの探し」と称した少女の戯れは、思った以上に難航した。もちろんに彼女にとって計画通りではあったのだが……それは彼女の予想を遥かに上回る酷さだった。
 予想以上なのは青年も同じ。あまりにも手を煩わせられるものだから、始めは我慢していたもののさすがに苛立ちを隠せないでいる。

「キミは……ボクの思った以上に、何というかまるでダメだね」

 呆れに近い、それは苦笑というのか嘲笑というのか。アレキサンドラの表情に、青年は自分の手が自然な動きで武器へと向かうのが分かった。今すぐにでも目の前の生意気な子供を始末してしまいたい。これ以上、お子様の遊びに付き合わされてたまるものか。そんな衝動をどうにか抑えて青年は口元を歪ませる。
 相も変わらず、青年の目は濁っていた。五年間、殆ど殺人マシーンのように生きてきた彼は「普通の人」と呼ぶには程遠い。そんな殺人マシーン手にしているもの。間抜けな顔をしたウサギのぬいぐるみは、顔を歪めた青年と対比するとあまりに不釣り合いで笑いが込み上げてくる。

「……これの何処が不満なんだ」
「不満って言うか、うーん」

 ウサギの間抜けな顔を見つめて顰め面をする男を眺めて、困ったように目を細める。これでも、まだ人間性が戻ってきた方なのだ。アレキサンドラは、あの夜の翌日を回想した。



「キミは……なんてものを持ってくるの!?」

 思わず声を荒げそうになる。基本的に負の感情を表に出さない彼女がこんなにも驚いたのは、彼が手にしているものが余りにも常軌を逸していたからだ。
 アレキサンドラは、青年を「人間」として見ていた。暗殺者とはいえ、彼は目的を持ってその為に殺人を犯しているのだと――そう思っていた。
 だが、彼の中には何も無かった。空っぽの器に、自分じゃない何かの意思を注いだだけのような。殺人という「作業」を行っていただけのような。

「不満か」
「不満も何も……」

 ウサギの亡骸。温もりを失った冷たい残骸。驚きや怒りより、何より悲しみが溢れた。人間性がここまで欠落した青年に、アレキサンドラは言葉を失った。
 ガラス玉のように温度を失った紅のウサギの瞳は、そこに生命が宿らない事を示している。青年には恐らく嗅ぎ慣れた「死の香り」。それが、彼にとっての唯一興味引かれるものであったのだろう。
 伏し目がちに黙り込むアレキサンドラに、青年は不可解そうに目を細める。ふと、手の中のそれを彼女に差し出した。

「……さっさと受け取れよ」
「結構だよ……死んじゃってるんでしょ? ボク、生きた生物すら触った事無いし……埋めてあげてよ」

 困ってしまった。人間性が欠けているのなら、これ以上彼に期待するのすら無駄なのでは? 目の前に立ちはだかるのが途方もない道のりのようで、溜息が出そうになる。
 だが、顔を上げて彼女は少し気がついた。彼はただの空っぽではない。だって、その亡骸を抱える手は優しいから。儚く壊れそうなものを、ちゃんと腕の中に抱いているから。彼はかつてちゃんと人間「だった」のだ。
 この人、もしかして本当は優しい人なのかな。

「ねえ、キミは何が好き?」
「はあ? そんなものはない」
「じゃあ……食べ物、植物、動物、道具。この中でどれが好きかい?」

 不意に、そんな質問をぶつけてみる。少女の瞳はしっかりと青年を見据えている。その視線に嫌悪の表情をちらつかせながら、青年は眉間に皺を寄せて目を閉じる。

「……強いて言うなら、動物……」
「そう! じゃあ、まずそういうキミの「好き」に当てはまるものを持ってきてよ」

 途方も無い状況に変わりはないが、彼女は少し期待してみる事にした。


 彼女の期待通り、彼が人間性を取り戻すのにそう時間はかからなかった……とは言うものの、人間性は何とかなっても人の心が分からないのか。はたまたアレキサンドラの問いが難しすぎるからなのか。青年はまったくもってダメである。
 
「いい加減にしろ……何が駄目なんだ」
「ウサギのゴエモンちゃん……工房ジェンマのお手製人形だよね。うーん、そういうのじゃなくてね」
「いや、だって……可愛いだろ」

 焦燥を隠しきれない声色。青年は間抜けなウサギの顔を睨み付ける。人並みの感性が戻ってきた事は喜ばしいが、まったくアレキサンドラの言葉の意味を理解する気配が無い。
 「面白いもの探し」は長引いてゆく。それはそれで彼女の思惑通りでもあるのだが。目的が果たされないのは、彼女にとってつまらない事である。十三ながら王として君臨する彼女は、自分の周りにあるもののおおよそを知り尽くしていた。今更知っているものを目の前で提示されたところで、何も面白みがないのだ。

「ボクはまだ見たことないようなもの、驚くようなものが欲しいんだ。キミのそれは面白くないし、つまんない」

 不満げに顔を傾けると、それに合わせたかのように小型ナイフが飛んできて背後の壁に窪みを作る。苦い顔をする彼女の前で、その持ち主は煩わしそうに口元を歪めた。

「わあ、キミってばこわーい」
「……舐めやがってこの……くっ」

 わざとらしい怖がったふりに、思わず煮えくり返る感情のまま二本目のナイフを構えると、視界に煌めく金色がちらつく。自身に植え付けられた危機感から、彼は怒りに震える腕を抑えることしかできなかった。
 つまらない、と口にしながらも彼女の表情は朗らかだった。楽しげに目を細めて、青年の表情の変化一つ一つを愉快そうに眺めている。それがまた彼にとっては腹立たしい。掌の上で転がされているようで情けない。

「ふふん、キミはボクを子供だと見くびらないことだね」
「はあ……どっからどう見てもクソガキだろ……」
「むう、そんなこと言ってる間はナイフは戻らないと思いなよ!」

 子供っぽく少しムキになった少女を横目で睨み付けながら、青年は呆れたように溜息を吐く。これ以上無駄なお遊びに付き合っていられるか。足早に彼女に背を向けると、窓に足を掛ける。

「えっ、もう行っちゃうの?」
「……」

 背後から聞こえるアレキサンドラの声は、何処か寂しそうな色だった。なら自分の態度を改めることだな。内心そう言い捨てながら、背後に感じる視線を無視して窓からふわりと身を投げた。
 青年の姿は闇に溶けてゆく。緩く吹く風はカタカタと窓を鳴らし、暖かな部屋で温もった肌を冷やす。窓際に立って、少女はもう見えなくなった青年のことをぼんやりと考えた。
 少し口角の上がったその表情は、何処か幸せそうにも見えた。


♦♦♦♦

 七度目のNOを突き付けられ、結局彼はまともな反論も出来ずに屋敷から撤退した。あの日まるで天使だと錯覚するほどだった少女の笑みは、最早自分を苛立たせるものへと成り果てた。今思い出してもむかつくし、それに振り回される自分にも無性に腹が立つ。
 あのクソガキは大人をからかって楽しんでいるだけなのだ。弱みを握って人をおもちゃにする、幼稚極まりない――全く、あれの何処が民に慕われる王なのだろうか。
 そんな怒りも、凍てつくような乾いた風の中で薄れていった。薄暗い安宿の一室、建付けの良くないドアの鍵を閉める。灯りの一つすら灯さないその部屋には、青白い月の光だけがぼんやりと差し込んでいる。薄い壁の向こうからは男女の絡み合う音が騒がしく聞こえてくるが、それすら意識の外に追いやった青年にとって、そこにはただ静寂だけが広がっているように感じた。
 ふう、と小さく息をついて、染みだらけでくすんだ壁に凭れかかる。どうしてか、自分の塒に戻ると抜け殻になったような気持ちになるのだ。中身が無い死体のように。生きながら死んでいるような。
 何もない。血と腐臭に塗れた生活には何も残らない。奪ったものは多くても、自分の中は一向に空虚だ。何時まで経っても満たされる事は無い。掴み慣れた小さなナイフを握りしめる。数多の血を飲み干した柄が手に馴染む感覚は、青年に安堵を齎した。そうだ、自分はこちら側の世界に居るべきなのだ。

「行き詰まっているようだが――調子はどうだい、少年」

 ふと、愉快そうな笑い声が部屋に響いたような気がした。青年は体を起こす――と同時に背後から何者かの腕が伸びてきている事に気がついた。
 「悪神」。名前のないそれが自らことをそう呼んだのを覚えている。人の魂を集め、錬成術を行うおぞましい神さま。視認した事は無いのだが、青年は彼がその「悪神」なのを知っている。
 それは誘惑するような声色で囁いた。艶っぽいその声は何処か不気味で、ぞわっとした感覚が青年の背筋を駆ける。

「ああ、早くあの王様の魂が食べたいなあ……そうすれば素晴らしく美しいものが出来上がるんだから……君もそれを望んでいるでしょう?」

 男性的でもなく女性的でもない、中性的な声は、脳髄を溶かすような甘ったるさがある。思考を放棄して、その響きに身を委ねたくなる。
 だが一瞬――ほんの一瞬、青年の頭にふと別の事が過ぎった。ぼんやりとしていた頭の中、急に我儘な少女が現れた。挑発するような表情とあの声色が、はっきりと。
 あの子供、流石に神の姿は見たことないし知らないだろう。……まあ、これを奴に見せる手段も無いのだが。我ながら馬鹿らしい考えに、思わず口元を歪める。
 彼の表情から何かを察してか、悪神は首元に回した腕を更にきつく締めて艶めかしく囁く。まるで思考を許さないように、殺戮の人形を操るまじないを掛けるように。黒い蛇が纏わり付く。

「君には期待してるんだ、余計な事は考えなくて良い」

 唇に触れる柔らかい感覚。気がつけば前に立っている美しい少年の姿を視認する。切り揃えられた黒髪から覗く青白い顔は妖しく、そして恐ろしい程に美しかった。

「分かってる。すぐにでも、奴の魂を」

 視線を外したその一瞬の間に、少年の姿は跡形も無く消えていた。まるで始めから居なかったかのように。広がる静寂の中、壁越しの騒がしい物音が煩いくらいに聞こえてくる。
 意識ははっきりとしている。無駄な考え事をしてしまったせいか、いつもなら虚ろな会話が明瞭に意識の中に残っている。すぐにでも、と思わず口をついて出たが、今は何も打つ手がないというのが事実だ。天井に点々と残る黒い染みを、光のない灰色の瞳がぼんやりと追う。
 相も変わらず空しい夜だ。いくら思いを巡らせても、砂が指の間からするりと落ちていくような空虚さしか残らない。挙げ句の果てに考えることに疲れ果て、青年はぱたりと目を閉じた。

「……?」

 静かな部屋に、とたた、という軽い足音。足元に生温い温度を感じたかと思うと、にゃあ、と鳴く声がする。目を開けて視線を落とすと、夜闇に染まる小さな影がある。
猫 ……しかも黒猫だ。妙に人間に懐いた様子のそれを、青年はふわりと抱き上げる。生まれてまだそれほど経っていないのだろうか――拳銃くらいの重さしかない小動物は、抵抗もせず青年の懐辺りに収まった。
 重量感、温度、呼吸に伴う微かな筋肉の動き、皮膚の下から伝わる鼓動。生命の感覚—―生き物の、生きているという訴え。皮肉にも、奪う側である青年にはそれを人一倍鮮明に感じ取れた。青年は、この感覚が好きだった。自分以外の生命を感じている時の安堵感……それは冷え切った孤独の中で仄かな熱を放っているから。
 祖国では、黒い猫は厄災の象徴だとか言われていたのを覚えている。膝の上のこの子はこんなにも可愛いのに。そう思いながら黒猫の喉を撫でると、満足そうに目を細めながら欠伸をする様子に思わず表情が緩みそうになる。
 その時不意に、空っぽだった頭の中に一つの光が灯る。撫でる手を止めた青年の顔を不思議そうに子猫が見上げるので、穏やかに微笑みかけるとにゃあ、と返事が聞こえてきた。自分らしからぬ馬鹿らしい考えに口元を歪めるが、その表情は何処か柔らかい。猫の頭をすり、と撫でながら、彼はあの腹立たしい笑顔を思い浮かべて目を細めた。


♦♦♦♦

「おっそーい! やっと来たね」

 小さな白い花を片手に、青年はアレキサンドラの前に現れた。少女は茶化すように少しむくれたかと思うと、いつもの煩いくらいの満面の笑顔を向けてくる。青年はいつものように呆れた溜息を吐きながら、音もせずふわりと床に着地すると駆け寄ってくる彼女にそれを差し出す。

「これは……スノードロップ?」
「……手抜きとかじゃないからな。探す時間がなかっただけで……何も持って来ないとお前に文句言われるだろうから……」

 雪のように真っ白で穢れを知らない花弁は、摘んですぐだからか瑞々しく艶やかだ。受けw取った花を手の中でくるくると回したり、上から下から眺めては少女の表情は興味深そうに綻ぶ。
 予想外の反応に、青年は少し驚いたように眉を顰めた。また文句を言われると思ったが、彼女は「何処に咲いてたの?」だとか声を弾ませている。ふと、何を思ったのか少女のきらきらとした視線が向けられたので、青年は思わず後退りした。

「スノードロップって良いよね……ちっちゃくて可愛くて! 花言葉は『希望』とか『慰め』だったかな。こんな時期に咲いてるのは初めて見たかも」
「……俺の国ではその花を『待雪草』と呼んでいた。あと、何だったか……『恋の最初の眼差し』とかもあった、花言葉」
「……! そう、そう! 死を象徴する花とも言われてたりさ、真っ白な天使みたいな見た目なのに!」

 アレキサンドラは、はっとして一瞬目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。興奮からかどんどん言葉が口から出て、思わず早口になってしまう。そんなことなど気にも留めず、火照ったみたいに頬を紅潮させて彼女は青年に詰め寄った。
 眩しいくらいに輝かせた瞳に真っ直ぐ見つめられると、意味が分からないとばかりに彼の顔が困惑に染まる。何が彼女を喜ばせたのかは分からないが、胸の奥がどうしてかじんじんと微かに疼く。満たされているような、痛いような感覚に喉が詰まる。
その笑顔は、ポピーの蕾が一斉に花開いたように。

「そういうの! ボク、そういうの大好きなんだよ!」

 刹那、青年は不思議な気持ちに襲われた。初めてのようで、嘗てずっと感じていた覚えがあるような。ずきずきした不可解な胸の疼きが止まらない。けれどそれは不快ではない――寧ろ心地良いように感じられる。
 彼女のその顔は初めて見た。王様が暗殺者に向ける表情ではない、はたまたいつもの生意気で大人を舐め腐った子供の顔でもない。深い海の底に沈んだ記憶の中、ぼんやりといつか見た誰かの笑顔が過る。誰だったか、白く霞んで何一つ思い出せはしないのだが……。
 困惑する彼を見上げながら、アレキサンドラは感じたことのない胸の高鳴りを覚えていた。確かに彼の持ってきた花は彼女の求める「面白いもの」には程遠いのだが……いや、今は「面白いもの探し」などどうでも良い。先の一瞬を追想してまた胸の奥がきゅっとなる。彼がボクを見て話してたんだ、友達みたいに!

「ふふ、なんだか楽しみになってきたよ!」
「な、何が」
「キミの『面白いもの』だよ! 期待してるからね!」

 奇しくも、彼女の言葉は昨晩の悪神の言葉に似ていた。しかし、何故こんなにも胸が疼くのか分からない。まるで、閉じ込められている何かが外へ出ようとするみたいな感覚。彼女の言葉には希望がある。その響きには光があるのだ。
 青年は光を見た。よく見覚えのある、数日前に見たその光――初めてアレキサンドラと出会った時の、鮮烈な色彩。果ての無い暗闇に希望を「与える」光を。

「……ああ」

 曖昧なその表情は、何処か笑顔に似ているような気がした。意識してなのか無意識なのかは分からない……けれど、彼は明らかに変化していた。笑顔を向けると視線こそ逸らされたが、その瞳に嫌悪の色はない。
 それは、青年が長らく離れていた平和だった。流れ込んでくる温かいものに、心が拒否反応を起こす。広がった違和感が滲みて痛い、痒い。光の下は眩しすぎて耐え難い。自分なんかが――数多の命を奪い、罪に塗れた自分が救われて良い筈が無い……。
 彼自身、気付いてはいなかった。彼女の光の下にいる事を「救われる」と表現した事に。彼女を「救済」だと捉えた事に。



 青年の探し物は思ったより長引いているようで、それから二日はせめてもの間に合わせに花を持ってきた。その度に少女は不満を漏らすどころか嬉々として喜ぶので、青年は複雑そうに目を細めた。彼女がそうやって笑うたびにむず痒くて、さっさとことを済ませて立ち去りたくなる。
 青年の心情などつゆも知らないアレキサンドラは、毎晩の密会が楽しみで仕方なくなっていた。青年がくれる花はいたって何処にでも咲いているようなものだったが、彼は困惑しながらも、少女の言葉に何かしら返事をくれるのだ。その些細な喜びは、本末転倒だが――いっそ、これがずっと続いたって構わないような気すらするくらい。
 そして、十日目の夜がやって来た。窓辺に音も無く降り立つ彼の気配を察したように、アレキサンドラは振り向く。それを目にした瞬間、少女はその紅くて大きな目を丸くした。

「それっ……!」

 青年が抱えていた真白な毛玉を見て、彼女は飛び掛かるように駆け寄った。ぴくり、と白くてふわふわの生き物は耳を動かす。純白の毛に赤い瞳。小さなウサギ、それも生きている仔ウサギだ。青年の腕の中で、安堵したように蹲っている。

「森で見つけた」
「すごい! 本物のウサギだあ!」
「……抱いてみるか?」
「いいの? わ、ふわふわ~!」

 青年からそっと渡され、アレキサンドラは仔ウサギに触れた。ふわふわで柔らかくて、あったかくて重い。でも、力を入れすぎたら壊れてしまいそう。あっ、呼吸に合わせて動いているのが分かる、この子もちゃんと生きてるんだ。

「……荒っぽく触れるなよ、そもそもウサギは抱かれるのが好きじゃないし。ストレスに弱いから。ストレスで死ぬことも多い」
「へえ~、よく知ってるんだね! ウサギ好き?」
「別に……」

 嬉しそうに目を細めてウサギに顔を寄せる彼女を眺めながら、青年の口からは自然と言葉が出た。自分は何を言ってるんだろう……彼女の返事で我に返る。だが、嫌な感じはしなかった。懐かしい匂いの風が胸の中に吹き込んでくるような――
 腕の中の小動物について語る彼の表情は、今までに見たことないものだった。強張っていた顔は少し柔らかくて、その瞳は微かに淡い緑色に輝いて見える。あまり抑揚はないが穏やかで落ち着いた声色に、思わず胸の奥がほっこりと温かくなる。

「あのね、ボク、今まで動物に触った事が無かったんだ。父上が過保護でね、ボクは母上に似て身体が強くないから……病気になるとなかなか治らないんだよね」
「父……先王か」
「そう! 当の本人は二年前に死んじゃったけどね。ボクに散々そうやって言ってきたのに、病気で」

 アレキサンドラは青年を見上げて笑った。寂しさや強がりを感じさせないその笑顔は力強い。複雑そうに表情を歪める彼のことなど気にも留めていないのか、彼女は平然そうに抱いているウサギを興味津々な様子で見つめている。

「だからこそ、嬉しいなあ……えへへ、あったかーい」

 その姿も声も表情も、何処から見てもただの少女だった。年よりも少し幼く見える顔は城下の町娘と何ら変わらない。面白いものに目を輝かせて、嬉しそうに頬を染め、口元をふにゃりと緩ませている。警戒心の欠片もない隙だらけで、きっと声すら上げる間もなく殺してしまえるだろう。
 だが、その手にナイフが握られることはなかった。ただぼんやりと、透き通った灰色の瞳は楽しそうな少女を捉えているだけだった。

「そういえば、ウサギは寂しいと死ぬらしい」

 ぽつりと出た言葉。幼い頃、誰かに聞いたかもしれない言葉が、不意に意識もせず薄い唇の間から零れ落ちる。違和感からか少し歪んだ下手くそな表情は、それでも何処となく優しげだった。アレキサンドラは腕の中のウサギと青年を交互に見ると、幸せそうに目を細める。

「それってなんか人と似てるね。ボクも寂しかったら死んじゃうかも! 君も寂しいと死んじゃうでしょ?」

 彼女はふわりと微笑む。ずきりと胸が疼く。胸にぽっかりと空いた埋まらない穴に光が沁みて、ずっと痛むのだ。独りぼっちの暗闇にいるべき筈の身体が、光の下に引きずり出される。温かくて穏やかな光は自分の醜い部分を露わにする――だけどずっとここに居たい。

「さあな」

 青年は答えた。寂しくても死にやしない。死んでしまう程寂しいだけだ。
振り返ると、孤独の影がくっきりと映し出されていた。暗闇の中では見えなかった黒色が、圧倒的な光の下では色濃く目に飛び込んでくる。こんな感覚知りたくなかったのに、出会わなければ何もかも知らずに済んだのに。
 しかし、そこにはもう一つの影がある。愉快そうに揺れている小さくて細い影を視認すると、不思議と胸の痛みは引いていた。きっと許されないだろうけど、ここに居たい。空虚な穴から言葉がぽろぽろと零れてゆく。
 彼の返事を聞いて、アレキサンドラは煩いくらいに満面の笑みを浮かべた。腕の中のウサギに目をやると、二月の風が寒いのか緊張しているのか……白いふわふわは縮こまりふるふると身体を震わせている。彼女は少し眉を下げると、青年に仔ウサギを差し出した。

「はい、名残惜しいけど……この子どうするの? ちゃんと生きていけるかな」
「どう……普通に、森に帰す」
「そっか、キミがそう言うなら大丈夫だね! じゃあ、はい。これ、約束通り返すね」

 片腕にウサギを抱えた青年の前に差し出されたのは、装飾を施したナイフ。初めて会った日に奪われたものだ。丁寧そうに白い布に包まれていたそれを受け取る。取り出した見慣れた刃物が手にしっくりくる感覚に、ようやく終わったのだと青年は疲れがどっと押し寄せるのを感じた。
 ナイフを返したということは即ち、少女が自分に向けられる殺意を容認したという事。その割には余裕そうな顔で青年を眺めているが。

「これから君は自由だよ。ボクを殺しても良いし、立ち去ってくれても構わない。ま、勿論前者ならボクは全力で抵抗させてもらうけどね!」

 見縊られている。そう思った途端、先程までの穏やかな気持ちが殺意に変わる。青年はすかさずナイフを構える――が、何処か萎えた気持ちになっている自分がいる事に気がついた。間違いなくこいつを殺す「必要」があるのに、殺さなくてはいけないのに、本当にそれが自分にとって「必要」なのか? そんな疑問が過ってしまう。刃先を下に向けながら、彼は目の前で自信満々に胸を張る少女に溜息をついた。

「あれ? 思い留まっちゃうの?」
「……殺す」
「やだなあ、冗談だって!」

 殺意の込められた視線に、茶化すようにアレキサンドラはウインクして見せる。ムカついて腹立たしくて苛立ってしょうがないのに、結局刃は彼女の方へは向ける事が出来ない。まるで何か魔法にでもかかったよう。それに何処か安堵している自分がいる事に、青年は気付かないようにした。何故か「満たされている」ことを、見ないふりした。
 頭の後ろで手を組んで悪戯っぽく笑う彼女は、暫くして不意に黙り込んだ。先までの調子の良さは何処へ行ったのか、しばらく思い悩むように目を伏せる。そしてふと、何かを決意したかのようにぱっと笑顔を作る。

「あのさ! あのさあ、これからもここに来てくれたりは、しない? 毎日とは言わないから」
「は?」
「まあ、ボクの我儘だけど……ダメ?」

 手を合わせて祈るみたいに、眉を下げて申し訳なさそうに笑う少女の表情は何あざとくて、先の笑顔とは似ても似つかない。上目遣いで見つめられると、意味が分からなくて青年は狼狽して思わず引き下がった。愉快そうでも不機嫌でもない、だからといって馬鹿にされているわけでもない……見たことのない彼女の表情は、何処か必死そうにも見える。
 アレキサンドラの言葉を、当然青年は拒むつもりだった。……だったのだが、どうしてか悩んでいる。悩む必要などないのに、漸くこの馬鹿馬鹿しい子供の遊びから解放されたというのに。早くこいつを殺して、ここから立ち去ってしまえばすべて終わりなのに。
 こんな暖かな光の下に、多くの命を奪った自分がいて良い筈がないのに、そんなこと許されないのに。どうして――どうしてなのか、それでもここに居たいと願ってしまうのだ。

「……別に、良いけど」
「いや流石に都合良すぎるよね……え、ウソ! 冗談でしょ? 急な気の迷い!?」
「なんだよ、じゃあもう来ない方が良いのかよ」
「いやいやいやごめん! まさかそんな返事が返ってくるとは思わなくて……」

 思わぬ返事に、アレキサンドラは気を動転させて素っ頓狂な声を上げた。彼女があまりに間抜けな顔をするので、青年は呆れたように溜息を吐く。見たことのない表情……不意を突かれた彼女の阿保面は、彼の言葉を飲み込むに連れて瞬く間にきらきらと変化してゆく。嬉しさが堪え切れないみたいに、溢れ出していくみたいに、華やかな笑みが零れてゆく。
 何をやってるんだ俺は。自分でも呆れるような言葉に青年は苦い表情を浮かべる。目の前の嬉々とした瞳に、青年は返されたナイフを握り締めた。これは、彼女の心臓を貫くものなのだが。ターゲットを前にしながら、青年はその刃を向けることすらできずに革のケースに仕舞った。不思議と、胸の中は嫌な気持ではなかった。
 何かが綻ぶような、こびり付いていた不快なものが剥がれていくような。淀んでいた胸の内が晴れていく。

「あ、そういえばキミ、名前は?」
「名前……」
「聞いてなかったなーって!」

 ふとした彼女の問い掛けに、青年は口籠った。自分の名前が分からない……というか、今まで無くても問題が無かったのだ。どうやら、長い間思い出す事も無かった記憶と一緒に氷漬けにされている。溶ける事の無い分厚い氷の下で眠っている。
 彼が何も答えず俯いているので、アレキサンドラは何を思ったのか察したのか、青年に駆け寄った。その勢いに圧倒されて思わずたじろぐと、満面の笑みが彼に向けられる。

「もしかして名前、無いの?」
「……」
「じゃあボクが付けちゃおっと!」
「は? か、勝手なことするなって……」
「うーんと、じゃあね……あっ、アルマ! アルマってどう? やっぱりキミ、『アルマースの狼』っぽいもん」

 戸惑う青年など尻目に、アレキサンドラは興奮した様子で机の上の書類の山から絵本を発掘する。詰め寄ってくる彼女の顔は輝いていて、楽しそうにその絵本を力説する姿は何とも反論しにくくて仕方が無い。完全に彼女のペースに飲まれてしまう。
しかし、募るのは苛立ちや怒りではない。以前のように殺意の衝動に襲われることもない。彼女の世界に巻き込まれることすら、心の何処かで安堵を覚える。

「アルマ! ボク、これからキミのことをそう呼ぶから」
「……」
「えへ、アルマ!」
「……わかった、わかったから……」

 新しい名の響きは柔らかくて、聞き慣れない感覚に微妙な表情を浮かべる。それに、少女がそれを呼ぶ度に不可解な胸の高鳴りを覚える。彼女が真っ直ぐに笑顔を向けてくるので、アルマは若干照れたように目を逸らした。諦め混じりの返事をすると、アレキサンドラはまた嬉しそうにぴょんと跳ねる。
 まるで色づけられたみたいに、その名は「アルマ」になった青年の世界を変えてゆく。モノクロだった大地に小さな花が咲いてゆくように。一つの光によって変化してゆく。
 噛み合わないはずの歯車が、歪な音を立てて回り始める。きっと、出会わなければよかったのかもしれない。
 透き通った瞳で少女を見つめるその表情は、微笑みに似ていた。



関連記事
スポンサーサイト



テーマ:自作小説(ファンタジー) - ジャンル:小説・文学

[2017/02/27 15:27] | ダイヤモンド・ライト | トラックバック(0) | コメント(0)
<<-3-ノクターン・ラブラドライト | ホーム | 美しいひとの話>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://blacktime777.blog.fc2.com/tb.php/326-c2ade487
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
プロフィール

砂糖娘 

Author:砂糖娘 
ツイッター→@IchiMiya131
気の向くまま、なんかのろのろ更新してます。
純愛もドロドロも好きです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
小説・文学
3048位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
オリジナル小説
714位
アクセスランキングを見る>>

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR