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トキワ、シュウマツドリ
創作置き場
-7- ワルツ・オブ・シトリン
 開け放たれた窓から冷たい風が吹き込んでいる。
 机に頬杖を付きながら、アレキサンドラは先日のことを思い出していた。彼の声も言葉も、腕の力強さも温もりも、石鹸みたいな優しい香りも、思い出すと胸の奥がじわじわと熱くなってくる。思わず口元が緩んでにやけてしまう。
 こんなにも胸が高鳴るのは、彼を待っているからだ。たかが数日の会えない日でさえ、待ち遠しくて長く感じてしまう。漸く会えるとなると、疲れも悩みも忘れて頭の中はアルマのことでいっぱいだ。

「……っ! アルマ!」
「……随分元気そうだな、アレキ」
「えへ……」
「……はあ、分かった……はい」
「わあい!」

 窓から降り立つなり、アレキサンドラはまるで飼い主を待っていた子犬みたいに駆けよってきた。きらきらした瞳で見上げてくる視線からは、溢れんばかりの期待が込められている。諦めにも似た表情で溜息を一つ吐くと、小さく微笑んで両手を広げた。
 勢いよく胸に飛び込んで抱き着くと、アルマは優しく抱き締め返してくれる。暖かさと落ち着く香りに、彼女は嬉しそうに目を細めた。

「今日はね、すごい忙しかったんだ。朝は海軍の表彰式の参列、、お昼は大臣との会合、夕方からは国王宛ての申請の確認! もう目が回りそうだよ」
「うわ、子供が押し付けられるレベルじゃない激務だな……今日もお疲れ様」
「へへん! でもね、ボク海軍のところへ行くのは好きなんだ。船とか制服とか、かっこいいしね」

 いつもの優しい声に、アレキサンドラは彼の顔を腕の中から見上げて、得意げに笑う。頭に回った手にすりすりと撫でられると、嬉しくてもっと抱き着いた。伝わってくる鼓動が少し早くなるのが分かる。
 先の一件から、彼女の距離がやたらと近い。どうしたものか……と思いつつ、背伸びをする彼女の頭を撫でてやる。頬を染めて見つめられると、流石に恥ずかしくて目を逸らした。
 柔らかな髪が撫でる指の間に絡まって、またするりと解けてゆく。少女の髪からは、淡い石鹸のような――子供の匂いがした。こうしているのは嫌ではない……寧ろ、彼女の話を聞くことに心地よさすら感じている。そして時折、ぎゅう、と胸が痛むのだ。

「じゃーん! 今日のはね、イチゴとシャンパンのフレーバーティーだよ」
「良い香りだな……いただきます」
「あっ、アルマ! ねえ、これ見てもいい?」
「……う、まあいいけど……」

 ソファにゆったりと腰掛けて、彼はティーカップに口を付けた。隣で画帳を手にする彼女彼女を、何とも言えない微妙な表情で眺める。ぺらぺらとページを捲りながら、アレキサンドラは食い入るように白い紙の上の絵たちを見つめている。
 人に絵を見せるというのはあまり得意ではない。……というか、そもそもあまり自分の絵に自信がなかった。誰かが自分の絵を見ているとき、記憶の奥底で誰かの呆れた声がするようで。

「あっ! これ! ねえアルマ、ボクこれ好き!」

 そんな何処の誰かも分からない声は、突き抜けるような明るい声で掻き消される。目を輝かせて真っ直ぐに見つめて、フリルをあしらったドレスを身に纏う少女の絵を見せつけてきた。思わず少し表情が緩む。

「それは……街で見かけて興味深いなって……思い出して、描いた」
「へえ~! 可愛いなあ、ボクね、フリルの服好きなんだよ!」

 若者に流行しているのであろうそのドレスは、派手すぎない感じが街の風景にも馴染んでいる。膝丈のスカートの下、編み上げたロングブーツがよく映える。

「……アレキは、こういうの着たいのか」
「え、ボク? あはは、流石にこういうのは着ないかなあ。あ、ボクこれも好き! 着るならこういうの! かっこいいなあ」

 ページを捲ると、次は軍服の少年に歓声が上がった。黒のロングコートにハーフマントを纏い、片手には軍刀を携えている。華やかな装飾には、所々に東の国のモチーフが盛り込まれている。
 紅茶を啜ると、イチゴとシャンパンの爽やかで芳醇な香りが鼻と喉の間で弾ける。安っぽい画帳を見つめるアレキサンドラのきらきらした表情に、胸の奥がむず痒くなる。

「これは、軍人を見かけて、軍服っていいよなーって……」
「……っていうかさ、アルマって軍人に見つかって大丈夫なの? 昼間もその格好だと絶対怪しいよ」
「そんな訳ないわけないだろ馬鹿。俺だって昼間は周りに馴染むようにしてるから」

 心配そうに見上げてくる彼女の表情に、呆れたように目を細める。隣で無邪気に微笑む少女から目を逸らし、再びティーカップに口を付けた。死んでも自覚したくない。「嬉しくて照れている」だなんて。
 微妙に表情を歪める青年の隣で、アレキサンドラはふふ、と小さく声を漏らす。落ち着かない視線と深呼吸。嬉しいんだなあ、アルマは。褒められ慣れていないのだろう、嬉しいのを隠そうとしているのが愛おしい。
 にやにやと口元を綻ばせながら、彼女は隣に座るアルマに凭れ掛かる。見上げた先の彼は最早拒むことも諦めたような、けれど満更でもなさそうな、優しい顔で。
 「好き」。ふと交わった視線に、その言葉が喉元まで上がってくる。溢れんばかりの笑顔を彼に向けると、幸せの味を噛み締めた。
 まるで、初めて感情を知った赤子みたいに、覚えたての「好き」を何度も抱き締めるのだ。


♦♦♦♦


 石造りの鍛錬場で聞こえてくるのは、金属のぶつかり合う音と硬い靴音、二つの呼吸。必死そうな上がった息に対し、もう一方はまだ余裕を残しているのか、一定で乱れることがない。
 銀色の刃は鋭い音を響かせ、また空気を切ってびゅう、と鳴る。頭上に差し込まれる剣に瞬時に身を屈めると、ふわりと浮いた青年の赤い髪を刃がチリ、と掠める。
 体勢の整わない少年に腰を落としたまま剣を突き出すと、最早体力も限界に近い少年は受けるのが精一杯だ。何とか剣を構えて攻撃を防ぐも、完全に防戦一方である。
 一際重い一撃を剣で受け止めたその瞬間、バランスを保てなくなった少年の身体がぐらりと揺れる。そのまま地面に尻もちをついた少年の喉元には、銀色の刃が突き付けられていた。
 冷酷な色をした青年の薄紅の瞳が、小柄な少年の姿を映す。しん、と張り詰めた静寂が辺りに広がる。

「そこまでっ!」

 沈黙を破る声に、糸が切れたようにアレキサンドラとグラナの表情が緩む。二人を囲む兵士達の拍手に包まれ、彼は座り込んでいる少女に手を差し伸べた。

「うーん、完敗だなあ! 十三勝四五敗……だっけ?」
「はは、十三勝四三敗ですね、陛下」

 困ったように笑いながら、アレキサンドラは小さな手を伸ばす。軽い身体がぐいと引き上げられると、二人は少し距離を置いて互いに礼をした。
 二人の手合わせは、陸軍の鍛錬場で定期的に行われていた。本職の軍人に負けず劣らない彼らの秀でた武術は、模範として兵士達の前で披露される。陛下直々に剣術を披露することは、兵士達の士気の向上にも大いに繋がるのである。

「やっぱりグラナは強いな、なかなか勝てないなあ……」
「いえ、体格の違う相手と互角に勝負できることがすごいんですよ。僕なんてまだまだです」
「はは、謙遜しなくてもいいよ。君は十分強いんだから」

 アレキサンドラも十三の少女(ということは極秘であるが)としては卓越した技術の持ち主であるが、流石に体格の違う男相手にはそう簡単に勝てるものではない。特にここ最近は負けが込んでいる。
 がっくりと肩を落とす彼女の前で、彼は少女の背丈に合わせるよう身を屈めて微笑んだ――その時、ふと談笑していたアレキサンドラの耳に気がかりな会話が飛び込んでくる。騒めきの中、ひそひそと声を抑えた話し声は、若い青年たちから聞こえてくるようだ。

「よっしゃ! グラナ様の勝ちってことで、晩飯の肉は俺のな!」
「おいっ、もうちょい声抑えろよ……軍曹あたりに聞かれたら」
「良いですよ、賭けても」
「!? っへ、陛下!」

 人集りの後方の青年たちの前に立っていたのは、にこりと笑みを浮かべた国王陛下。いつの間にそこに居たのか、声をかけられて初めて気が付いた彼らの血の気が引く。
 軍曹どころではない、きつく叱られるどころではない、何せ今の会話は全部、よりにもよって「国王陛下」に聞かれていたのだから。

「勿論、金品を賭けるのはいけませんけど、夕飯のおかずくらいなら、ねえ? グラナ」
「うん、まあ……それくらいなら構わないですよ」

 表情を強張らせる青年らに、アレキサンドラは優等生らしく微笑んでみせた。背丈の高い彼らを見上げる表情は凜としていて、透き通るような声に思わず背筋がピンと伸びる。
 一回りも大きい大人の男たちに囲まれながら、彼女は圧倒的な存在感を放っていた。陶器の様に白い肌も小さな身体も、何処から見てもか弱い子供なのに、紛れもなく「上に立つ者」なのだと理解できる。

「……あ、あと、賭けるなら是非、僕に賭けてくださいね。そうしてくれたら、僕もっと頑張るので!」

 悪戯っぽく笑うその表情は柔らかく綻んでいて、凍り付いていた兵士達の空気が緩む。まだ幼さの残る笑顔は、周りで見ていただけの軍曹ですら穏やかな気持ちにさせるほどだ。
 可愛らしさという賄賂を振り撒く彼女に、後ろから顔を出してグラナは苦笑した。隣の少女に目を遣りながら、冗談っぽく笑ってみせる。

「ずるいですよ、陛下。なら僕だって! 賭けてもらえるなら絶対に勝利を齎してみせます」
「はは! 次にやるのが楽しみだなあ。……っと、そろそろ時間かな。それでは、皆も鍛錬に励んでくださいね」

 グラナと目を合わせて、アレキサンドラは少年の様に無邪気に笑い声を上げた。敬礼の群れに背を向けると、一度振り返ってにこりと目を細める。
 軍隊のことは好きだった。彼らの多くは自分に対して好感を抱いているから。幼い頃から王子として軍部に出入りしていたことも一つだが、国王就任当初に行った軍の待遇改善が主だろう。
 長年に渡って放置されていた劣悪な環境、低廉な報酬、質の悪い兵士達。幼少からそれを目の当たりにしていた彼女は、崩壊寸前の彼らに整備された軍施設と十分な報酬を与えた。その際の政策は胃に穴が開きそうなほど悩まされたが、それだけの苦労はすべて自分に返ってくる。

「……という訳なんです。陸軍の次の予算、少し海軍に回して、海上の取り締まりに充てられないかなあ、と」
「なるほど……でしたら是非、うちの予算を回してください。昨年の余剰金を繰り越せば、うちには余裕があります。昨年は大きな災害も出軍もありませんでしたし、会計士のお陰で軍費はかなり節約できましたし」
「それは本当ですか? ありがたいなあ」
「いえ、全て陛下の御厚意に報いる為。我々は貴方の御恩を決して忘れません」

 煙草の匂いの沁みついたソファに腰掛けて、肩幅の広い男は傷だらけの顔を緩めた。初めに軍を味方につけたのは、力を持つ者を手早く手懐けたかったから。力を持って反抗されないように、そして自分に歯向かう者から守ってくれるように。
 何事も行ってすぐに結果が出るわけではない。しかし、軍部の改革は確かに目の前に結果として表れている――特に、この元帥は彼女に対して並々ならぬ崇敬の念を抱いている。
 至極当然のことだろう。始めは小生意気なガキにしか見えなかった彼女の、自分たちに寄り添い真っ直ぐに努力する姿を目の当たりにしたのだから。その上、小さくて可愛くて……。

「それにしても……失礼かもしれませんが、陛下を見ていると、孫を思い出すのですよね」
「……へえ、お孫さん、今おいくつなんです?」
「今年で十一になります。親離れのできない甘えん坊でして……いやはや、少しは陛下を見習ってほしいものだ」
「ふふ、溺愛していらっしゃるんですね」

 小さくて可愛いらしいその佇まいは、彼らの子を、孫たちを思い起こさせるのだ。

「では、本日はこの辺りで……日を改めて海軍の方とも話しましょう」

 ずっと不安で不安で仕方がなかった。目の前の人に憎まれるのが。だから確実に、ボクのことを好きになってもらわなきゃ。
 でも、今は違う。今の自分には、あの温もりがある。包み込んでくれる温かさが、受け入れ抱き締めてくれる優しさが、彼女の背中を押す。
 アルマが褒めてくれるなら、なんだって出来る気がする。何処までだって努力できる気がするんだ。
アレキサンドラは、ガタイの良い中年を見上げて無邪気にはにかんだ。


「……あ、アレキ! おつかれ、元帥との会談、今終わったの?」
「グラナ! うん、グラナは? 何してたの?」
「次の予定まで時間があるからね。ちょっとトレーニング」

 見慣れた赤髪の青年は、少女の姿を視認するなり嬉々とした笑みを花咲かせた。先の軍服から着替えた彼の佇まいからは、相変わらず清廉とした品位が漂っている。
 幸い迎えの馬車までの道には、二人以外の人影は見られない。アレキサンドラも張り詰めていた気を緩めると、ほっと一息ついて笑みを浮かべた。

「……よかった、アレキが元気そうで」
「? どうして?」
「この間の。もし落ち込んでたらって思ってたけど、そんな心配いらなかったみたい」

 含みのある声色にきょとんとして見上げると、グラナは眉を下げて笑いかけてくる。何処か申し訳なさそうな、気の弱そうな表情からは、彼の穏やかで優しい性格が滲み出ている。
 グラナは優しくて気遣いが出来る。今だってそう。きっと激しい鍛錬をしただろうに、汗の一筋すら残さず、傍にいると好ましいフローラルな香りがする。そしていつだって、彼女に穏やかな瞳を向けてくれる。

「あはは、落ち込むだけ無駄だしね。心配してくれてありがとう! ……あ、そうだ、良い茶葉があるんだ。明日どう?」
「やった! じゃあお気に入りのマカロン持って行こうかな!」

 嬉しそうに頬を染める彼に、アレキサンドラは空虚さを覚えた。精一杯自然な作り笑顔で、中身のない空っぽの言葉を吐く自分が空しくて、それでも胸が痛まないのが申し訳なくて。
 彼に好意は抱けない。薄い壁越しに伸ばしてくる手を、彼女は取ることが出来ない。例えそれが裏切りでも不義でも、心臓がジンジンする疼きに笑みが零れてしまうのが、「好き」なんだと知ったから。
 二人きりの廊下を歩く彼女の足取りは、いつになく軽かった。


♦♦♦♦


「……っアルマ! ……あれっ」

 窓際に降りた彼を見て、アレキサンドラは目を丸くした。上から下までひとしきり眺めると、得意然とした表情の彼と目が合った。

「す、すごい! 普通の人みたい!」
「お前が怪しいとか言うから、ほら」
「うん! 全然怪しくない! かっこいい! ね、レンゲもそう思うって!」

 清潔なグレーのシャツに紺色のベスト、黒いコートは存外彼に似合っている。高貴過ぎず安っぽ過ぎない雰囲気は、間違いなく昼の城下でも違和感なく馴染むだろう。
ウエストポーチから飛び出した黒猫は、構って欲しそうにズボンの裾に頭を擦り付ける。彼女がしゃがみ込んで同意を求めると、意味も分かっていなさそうな顔でにゃあ、と可愛く鳴き声を上げる。
 目を輝かせながら褒めちぎる彼女に、流石に恥ずかしくなってきたのかアルマは気まずそうに目を伏せながら、血色の悪い顔を少し赤くして俯いた。

「もうずっとこれの方が、怪しまれずに済むんじゃない?」
「いや……これは重いし動きづらい」
「へー! ボク、こういうアルマも新鮮で好きだなあ……あ、こんなところに隠しポケット」
「おい……って、うわっ」

 纏わり付いてくる彼女を軽く払うと、照れた顔を隠すようにそっぽを向く。覚悟はしていたが、思っていた十倍くらいの反応が返ってくるとどうも受け止めきれない。何も言えず沈黙して見下ろしていると、不意に飛びつくように腰に抱き付かれた。
 いつもと違う感触、いつもと違う匂い。でも、抱き締めた感覚は同じで、頭を撫でてくれる優しい手つきも同じ。飛び跳ねるみたいに胸が高鳴って、わくわくするのが止まらない。
 抱き締めたまま胸の中で彼を見上げて、きらきらした赤い瞳で真っ直ぐ見つめる。今日はどんな楽しいことをしよう。

「あのね、やってみたいことがあるんだ」
「……? なんだ」
「えへへっ、じゃーん! カードゲーム!」

 飲み終えたティーカップを置いて膝の上のレンゲを撫でていると、アレキサンドラに小箱に入ったカードを突き付けられた。カードの背面には高級感のある柄が描かれている。彼女は箱から取り出したそれを混ぜながら、テーブルの上に配り始めた。

「トランプか……したことないけど」
「こうやって配られたカードを引きあって、同じ数字が出たらここに捨てる。先に手札がなくなった方が勝ちで、このジョーカーを最後まで持ってた方が負け。簡単でしょ? あっレンゲ、それオモチャじゃないよ」

 裏向きに配られたカードを見て、アルマは眉間に皺を寄せた。嘗て侵入した家の中でそれを見たことはあるが――無論、カードゲームをする相手がいたことがない。
 正直ルールはよく分からないが、彼女が楽しそうに説明するから、ちょっとくらい付き合ってやってもいいか……

「それでね、これで勝った方の言う事を一つ、なんでも聞く!」
「……は? そんなのお前にとって圧倒的に有利だろ」

 ……と思ったのが間違いだった。少女が無邪気に言った言葉に、彼は思わず呆然として声を上げた。そう、アレキはこういう奴だった。

「そんなことないよ! だってボク、あんまりババ抜きやったことないし」
「……」
「それに、ボクが負けたらアルマの言う事聞くし……ねえねえ、やろうよー」
「……はあ、分かった分かった……」
「やったあ!」

 不満をあらわにする彼に、アレキサンドラは眉を下げて反論する。ぐいぐいとコートを引っ張って強請ってくる彼女は、まるで玩具を前に駄々をこねる子供のよう。大人になりたいんだかどうなんだか、呆れたような溜息が漏れる。
 大きな瞳を潤ませて懇願する彼女に、アルマは結局根負けした。嬉しそうにきゃっきゃと騒ぐ少女と対面する形でソファに腰を下ろすと、配られた手札を眺める。それ程彼女が望むなら仕方がない――「あんまりやったことない」なら尚更。
 そんな幸せそうな笑みを向けてくるなら、仕方がないことだ。


「―――っなんでだよ!」
「はい、あがり!」

 仕方がないことだった。手の中に一枚だけ残された頓痴気な顔のピエロを見つめて、彼は机に突っ伏した。
 三度目だ。この頓痴気な顔を見るのも、目の前でアレキサンドラが得意げにガッツポーズを決めるのも、もう三回見た。
 一度目の敗北の後、「慣れてないだろうから……」と彼女が差し出したチャンスだった。最後は必ず彼女が数字のカードを引き当てる。そして必ず頓痴気なピエロと対面し、嬉しそうな歓声が聞こえてくる。

「お、お前……なっ、い、いやなんで、なんで毎回……本当は経験者だろ!」
「ううん、あのね、顔で分かるんだよ」
「は、はあ……?」
「ふふん、ボクがジョーカー引こうとすると、一瞬目が違うところ見るんだよ、ほんのちょっとだけど」

 得意げに顔の横でVサインを作る彼女に、アルマは頭を抱えて目を瞑った。一回目の負けはともかく、二回目からはだいぶ感覚も分かってきた筈だった。それが、目線一つで完膚なきまでに叩き伏せられてしまうのが情けない。
 テーブルに顔を伏せる彼を見て、アレキサンドラは込み上げる愉しさを飲み込んだ。これは見たことのない表情だ。表情の硬い彼の鉄壁が崩れる瞬間、アルマの見せたくないものが曝け出されているような気がして。
 こんな庶民的で子供じみた、最高に楽しい遊びが、またアルマとの距離を近くするのだ。崩れた一瞬の彼の表情は、「友達」みたいな表情だったから。

「……にしても、未経験者相手に容赦ない……」
「ゲームは本気で勝負するのが礼儀だもん」

 らしくなくもごもごと文句を垂れる彼の前で、ふんぞり返る彼女はしたり顔だ。そんなアレキサンドラも、ゲーム中のポーカーフェイスは鉄壁だった。時折、意味深に微笑んだりにやけたりするのが厄介で、惑わされているうちにジョーカーを掴まされている。
 膝の上の子猫は、二人が相手をしてくれなくて退屈だったのか、小さく丸まってぐっすり眠っている。机から顔を上げると、漸く目を覚ましたレンゲが眠たげに毛繕いをしていた。視線の先の彼女は、満足そうに笑みを浮かべている。

「もう一回やる?」
「いや、もういい……それより、早く要求を言え」
「えっとね、じゃあボクまた街に行きたいな~」
「……またか……」

 わざとらしく甘えるような声色に、アルマは気怠げに小さく呟いた。まあ、覚悟はしていたが……重い腰を上げると、レンゲは察したようにウエストポーチに飛び込む。
 アレキサンドラは嬉しそうにクローゼットを開けると、ロイヤルブルーのロングコートを引っ張り出す。それを品良く纏うと、真白のマフラーを巻いて準備万端だ。

「はい! アルマ、これ」

 不意に、彼女に腕を引っ張られる。振り返ると、少女は何か布のようなものを差し出してきた。ぐいぐいとそれを押し付けられるので、渋々それを手に取ってみる。柔らかくて肌触りの良いそれを訝しげに見つめる彼に、アレキサンドラは子供らしく白い歯を見せる。

「……なんだこれ」
「マフラー。いつも首元寒そうだから、それあげる」
「え、いや……俺は別に、そんな」
「いいから! ほら、巻いてあげる!」

 相当上質なベビーブルーのマフラーに狼狽える彼に、アレキサンドラは問答無用でそれを巻き付ける。手際よく巻かれたそれは少し明るい色だが、今日のアルマに良く似合っていた。それに、柔らかくて暖かくて、包み込まれるような優しさを感じる。

「うん、似合ってる」
「……それよりほら、出るぞ」
「はーい」

 照れ隠しの様に話を切り上げマフラーに口を埋めると、アルマは飛び込んできた彼女を抱きかかえた。少女の手がマフラー越しに首に巻き付く。
 彼に抱きつくと、首元のふわふわが温かくて気持ちいい。そうやって悠長ににやにやしていると、不意に目下に遥か遠い地面が現れて背筋が寒くなった。静かな森には、風の音がびゅう、と響いている。無意識のうちに彼にしがみついていたらしい、彼の腕に強く身体を抱き寄せられる。

「……その」

 ふと、頭上から聞こえてきた声。
 離れられないのでちゃんと顔は見えない。ちらりと一瞬見えた瞳は、優しく微笑んでいるみたいだった。

「……ありがとう、これ。あったかくて……いい」

 あまりに穏やかで優しい声色。胸の奥に温かな雫が落ちて、じんわりと温もりが広がっていく。覚えがある。これは「好き」だ。
 アレキサンドラは、一瞬その温かさに呆気に取られる。思わず零れてしまいそうな言葉を飲み込んで、紡ぎだした声は少し裏返った。
 
「……っう、うん! でしょ!」
「……じゃ、降りるから」
「え、あっ、ひ……っ!」

 慕情の込められた眼差しのむず痒さに耐えかねて、アルマは焦るように窓枠から飛び降りた。突然の浮遊感に、少女の喉は声にならない悲鳴を絞り出す。小さくか細い叫び声は、風の鳴る音と木々の騒めきに溶けて消えていく。

「……ひぃ」
「大丈夫か? アレキってこういうの苦手なんだな」
「三階の窓から飛び降りるのが得意な方がおかしいんだよ……」

 強張らせた身体を抱きかかえて、彼はゆっくりと地面に着地した。彼女を背中に負ぶうと、風に乗って森に飛び込んでゆく。彼の背中にしがみつきながら、アレキサンドラはぐったりとして息を吐いた。
 吹き付けてくる風は凍てつくくらいに冷たい。木々の間を通り抜けていると、たまに葉が顔に当たって少し痛い。でも、それ以上にアルマと外に出られることに、彼女は喜びを感じていた。

「で、今日は何処に行きたいんだ」
「えっとねー、うーん……酒場! ちょびっと何か食べたり……」
「却下」
「ええ~、アルマのケチ」

 風を切る音。ラピスラズリのような深い藍色の空に、まん丸で青白い月がぽっかりと穴を空けている。アレキサンドラがぐっと顔を近づけて答えると、彼は即座に一蹴した。頬を膨らませて何か言っているようだが、風の音でよく聞こえない。
 それにしても、やはり身体が重いな。彼女が乗っているから致し方ないのだが――まあ、諦めるしかないのだが。彼は地面を蹴り、生み出した風に身体を乗せる。

「大体、お前は目立つんだ。自覚しろ」
「む……じゃあ、夜の街を散歩するのでいいよっ」
「……まあ、散歩くらいな――、待て」

 ぴくり。一瞬にして張り詰めた声。背中越しに感じる彼の身体が硬直する。息が詰まるような雰囲気を察して、アレキサンドラは表情を強張らせた。

「な、なに」
「しっ……」
「……?」
「――――狼だ」

 いつもより幾分低い声だった。冗談にしてはあまりにも深刻そうで、その顔は見ずとも表情が窺える。不安に揺れる瞳を瞬かせて耳を澄ますと、背後から微かに「自分たち以外の何か」の音が聞こえてきた。

「っこ、この森に狼なんて生息してない、筈なんだけど」
「……このまま振り切って森を抜けるしかない」

 先よりも強く地面を蹴る。より鋭い風の中を纏ったアルマの表情に、余裕はなかった。身体が重い。彼女を背負っているからではない。よりによって今日の格好が、身体の動きを阻害するからだ。分厚いコートが重い。パリッとした清潔なシャツが窮屈で思うように動けない。
 森を抜けるまでには、来た道よりも長い距離がある。真冬だというのに、彼の額には汗が滲んでいた。目を閉じて考える。森から出るのが先か、追いつかれるのが先か――

「も、もし追いつかれたら……最悪、ボクのヨッドで」
「余計な事考えるな! 絶対に俺から身体を」

 ふと、彼の耳に違和感のある音が届く。それは、あの日アレキサンドラの館を見つけた時のような、この森に似つかわしくない音。
 木々の途切れた場所、吹き付ける風がぶつかる音。

「た、……建物だ」
「えっ……な、何それ! ボク、知らない……」
「何でもいい! 隠れるぞ」

 戸惑っている暇もなかった。アルマの焦ったような声と同時に、木々の間から飛び出していた。目の前に現れたのは、蔦に覆われた古びた石造りの建物。それが何かを確認する前に、彼は重そうな扉に体当たりをして飛び込んだ。

「っ、うっ!」

 勢いよく投げ出されて、二人は冷たい床に転がり込んだ。幸い、飛び込む際に彼が抱きかかえてくれたお陰で、アレキサンドラは痛みを感じなかった。半面、彼は腕の中の彼女を支えながら痛々しい唸り声を漏らしている。

「あ、アルマ! 大丈夫!?」
「……う、ぐ……だ、いじょうぶだ……それより」
「うん、レンゲも無事だよ……」

 投げ出されながら、彼は器用にウエストポーチからレンゲを取り出し彼女に抱かせていたのだ。子猫は床に横たわる二人の間で、びっくりしたように尻尾の毛を逆立てている。
 アルマはほっと安堵に息を吐くと、苦しそうに身体を起こした。目を閉じて耳を澄ませる。どうやら数匹の狼はここを見つけられていないようだ。標的を失ったようにうろついた後、音が遠のいていくのが聞こえてくる。

「……よかった……一先ずは、無事か……というか、ここは……」
「何だろ……なんか埃っぽ……っひぃ!」

 安心したのも束の間、ドン! という重たい音と同時に急に視界が暗転する。金属質のドアがひとりでに閉まったのだ。隙間から零れていた月の光はすっかり途絶えて、何も見えない暗闇に彼女は甲高い悲鳴を上げた。
 すぐに彼女を引き寄せると、アレキサンドラは身体を縮こまらせて震えている。アルマの存在を確認すると、ふと何かに気が付いたように慌て始めた。

「……もう少しここで待った方が良いが……暗くて危ないな、外に出よう」
「ま、待って! あの……レンゲがいないの、さっきまでここにいたのに……」
「……今のでびっくりしたのか……仕方ない、ほら、立てるか」

 困ったような呆れたような顔で、彼は嘆息を漏らす。困ったものだ――彼はその優しさ故、ただの人懐こい野良猫であっても、決して見逃すことが出来ないのだから。彼女の身体を支えて立ち上がると、先に強打した肋骨が少し痛む。

「あ、アルマ……この暗い中を歩いて探すの?」
「ああ、別に暗くても何があるかは分かるし……怖いなら、ここで待つか」
「やだ! 絶対ついてく!」

 彼の柔らかい声から、心配されていることが伝わってくる。でも、暗闇の中に置いて行かれる方がずっと怖い! 焦ったように彼の手を掴むと、アレキサンドラはその腕にぎゅっと抱き付いた。

「アルマ、何処にも行かないでね、一人にしないでね」
「そんなことする訳ないだろ……おい、足元気を付けろ」
「ひ、うわわ」

 暗闇の中、無機質な二つの足音が響く。耳を澄ましてみると、人間ではない小さな何かが蠢き走り回るのが聞こえてきて気味が悪い。小さな物音に縮み上がっていると、何か椅子のようなものに足をぶつけてしまった。
何も見えなくて、隣を歩くアルマも、自分さえも分からなくなる。両の腕でしっかりと捕まえている彼の腕だけが、そこにアルマがいるのだと確かめさせてくれる。

「アルマ、見えるの?」
「……見えるわけじゃないけど、まあ、音とか空気感で何があるかくらいは分かる。アレキと出会った時も、俺は何も見えてなかったからな」
「えええ! 何それ、初耳なんだけど!」

 廃墟同然の建物には、そこら中に埃を被った瓦礫が散らかっていた。玄関から繋がる廊下には、左右に幾つかのドアがある。その先には、大した広さでもない部屋があるのだろう。中を確認するまでもなく、そこにレンゲの音も気配はない。
 視力を取り戻してから精度がかなり落ちたとはいえ、暗闇の中で彼の触覚と聴覚は鋭く周辺を察知していた。ふと、目の前のドアの向こうが「普通ではない」ことに気が付く。そしてその先にまだ何かがあることを、彼は聞こえてくる音から感じ取った。

「う、けほ……っ、うええ、ここも埃っぽい……」
「……大丈夫か」
「我慢する……」

 キイ、と錆びた蝶番が喚くような不快な音を立てる。おずおずと怯えた歩みに合わせて、足元で金属音とガラス片の砕ける音が鳴る。その度に、アレキサンドラは気疎そうな息を漏らして強く彼の腕を締め付ける。
 他よりも二回りほど大きい部屋には、大きなテーブルが置かれていて、脚や背凭れの折れた椅子が沢山ひっくり返っていた。確かに、ここから子猫の怯えた息遣いが聞こえてくるのだが……逃げるような、導くような小さな足音を頼りに進んだ先で、彼は目の前に立ちはだかる何かにぶち当たった。

「……また、ドアだな」
「思ったんだけど、レンゲってドア開けられるの……?」
「……元々開いてたんだろ」

 少し間をおいて答えると、彼女は無言でぐっと身体を寄せてきた。ドアノブに手を掛けて押すと、先のドアより手応えがあるのを感じる。地面を擦るような重たく鈍い音を立てて、扉が開いていく。

「!」
「……光?」

 扉の先には、扉があった。アレキサンドラはアルマと顔を見合わせて目を見開いた。
両開きのドアの隙間から、青白い光が細い筋を作っている。腕に縋りついていた彼女を見下ろすと、その表情は恐怖から好奇心へと塗り替えられていた。
 どうしてか、その先に何があるのかをアルマは感じ取ることが出来なかった。薄暗さの中、彼は神妙な面持ちで重いドアを押し開く――


「……わああ!」


 目の前に広がる極彩色。満月の光を受けた鮮やかな色は、無機質な白い床に映し出されてまるで宝石を零したみたい。瓦礫と埃に塗れ、崩れて蜘蛛の巣が張っているはずなのに、「神聖な場所」だと分かる――寧ろ、朽ちたその姿こそあるべき形であるかのように。
 筆舌に尽くし難い神々の姿に、アレキサンドラは感嘆の声を漏らした。神々しく照らし出されたそれは、長い時間の流れを感じさせながら汚れの一つも見当たらない。思わず息を呑んだ彼の瞳は、その色を反射してダイヤモンドの様に煌めく。

「ここは……」
「礼拝堂だよ、ここ! あっ、レンゲ!」

 飛び出してきた黒猫が、彼女の足の間をするりと抜けて擦り寄ってくる。アレキサンドラがしゃがみ込んで撫でてやると、レンゲは甘えたような声で嬉しそうに鳴いた。

「……これはランプか……蝋燭は……まだ使えそうだな」
「ねえ、アルマ! ここもっと色々見てもいい?」
「急に元気になったな……あんまり走るなよ、気を付けろよ」
「えへへっ、レンゲも行こー」

 落ちていた古いランプにマッチで火を灯していると、彼女の楽しそうなはしゃぐ声が聞こえてくる。暗闇の中で怯えていた少女の姿は何処にも見当たらない。アルマは呆れたような、安堵したような表情でそれを見つめた。
 古寂びた絶対に音の鳴らないようなオルガン。精巧な彫刻が施されていただろうに、今は欠けてしまった柱。何かを覆っていたのだろう、白く透けたカーテンのような布。まるで異世界に来たみたいだ。興味を惹かれるものの数々に、思わずアレキサンドラの足取りは早くなっていく。

「すごい、すごあーーっ!」
「! なんだ!?」
「いたあ……」

 急な悲鳴に、血相を変えて駆け付けた彼の目に入ったのは、布に絡まって尻もちをついている少女の姿だった。呆れて物も言えないな、こいつは……。溜息を吐きながら、絡まったカーテンを捲り上げる。

「走るなって言っただろ……」
「へへ、ごめん……ありがとう、アルマ」

 白く透けた布の下から、アレキサンドラの困ったような笑顔が覗く。差し込む月の光に照らされた彼女の顔は、その端正さが一層際立って見える。中身は言う事を聞かないただの子供のでしかないのに。布から抜け出した彼女は、子供っぽく笑いながら机の上に腰かけた。

「よーし、休憩~」
「……王様が神様の前で、行儀悪くないのか?」
「座席は窮屈だもん、どうせ誰も見てないし! アルマも座ったら? ほら」
「まあ……それもそうだな」

 冗談っぽく微笑む彼を隣に座らせると、アレキサンドラは満足げに笑みを浮かべる。レンゲもそれを真似るように、必死に登ろうとするので、アルマはその身体を持ち上げて自分の膝に乗せた。

「すごいステンドグラス……なんか、前に参列した結婚式を思い出すなあ」
「……そういえば、アレキに聞きたいことがあった。……聞いていいのか迷ったけど」
「え、なになに?」
「……アレキ、って……その、お前の中で自分のことを、男だと思ってるのか、女だと思ってるのか……と」

 婚約者の話をする彼女を見て、自分の絵を見つめる彼女を見て、目を見て「好き」と言ってくる彼女を見て、ずっと思っていたこと。彼女の「結婚式」という言葉に、ふとアルマは躊躇いながら以前からの疑問を呟いた。
 アレキサンドラの隣で、何処か引っ掛かっていた気がする。自分の言葉が彼女を傷付けないか。それだけじゃない、不安にも似た感情が胸の奥で燻っていて。
 この感情が何なのか――正しいものなのか、確かめないといけない気がした。

「……あはは! なんだ、そんなことかあ」
「……」
「ボクも思い出した、昔ね、同じことを母上にも聞かれたことがあるんだよ」

 不安げに俯く彼を見て、アレキサンドラは少年らしい笑い声をあげた。思った以上に、彼女はその質問を気にしていないようだった。少女はステンドグラスを見上げながら、在りし日の記憶を追想して微笑む。

「うーん、ボクね、分からないんだ。男だとか女だとか、だってボクはその前に王様だから」

 彼女の口から出る言葉は思っていた以上に重くて、アルマは言葉を返すことが出来なかった。当の本人は存外深く考えていないようで、いつもみたいにころころと子供っぽく表情を変えている。

「それに、別にボクが自分を男と思おうと、女と思おうと、何も変わらないしね」
「……うん」
「あ、逆に、アルマはどう思う? ボク、男の方がいい? 女の方がいいかな」

 彼女が向ける無邪気な笑顔に、彼の中で一つの気がかりが晴れた音がした。胸の奥の燻りも引っ掛かりも、変わらず引っ付いて離れない。けれど、その問いへの答えは一つに決まっていた。

「……どっちでも。どっちにしろ、アレキはアレキだから」

 そう答えながら、彼は膝の上で寛ぐ黒猫を撫でる。そう、アレキはこういう奴だった。真っ直ぐで強かで、目の前のことに度が過ぎるくらい一生懸命。目の前の彼女はずっと変わらない。
 本当は、軽い冗談のつもりだった。だったのに、そんなに優しくて柔らかい顔をされたら。そんなに優しく微笑まれたら。透き通った瞳に映る可愛い子猫は、満足げに欠伸をしている。きっと、「好き」が止め処なく溢れてしまう。

「……えっと、何……何か気に障ったか」
「……アルマ、笑ってほしい」
「は」

 じっと見つめてくる彼女に、訝しげに眉を顰めると、飛び出してきたのは突拍子もない言葉。狼狽するアルマの前で、アレキサンドラは何とも言えない顔をしていた。
 この「好き」は、どんな顔をしたらいいのか分からない。笑うのは違うと思う……顔が変になりそうなのを我慢していると、顔が硬直して逆に変な顔になってしまう……。

「……笑えって言われると、笑いたくなくなる」
「え……笑ってよアルマ、アルマの笑顔が見たいんだよ!」
「……」
「ずるいずるい! レンゲには笑ったの見せてたのに!」

 つい意地悪したくなって口を結ぶと、彼女はいつもの調子に戻って小動物の様に頬を膨らませた。足をばたつかせて駄々っ子の様に喚いて、猫にすら張り合う姿は呆れるくらいに子供っぽい。
 本当にこいつは、アレキサンドラは子供らしくて真っ直ぐなんだよな。

「アルマの意地悪! 馬鹿! 冷血漢! 性悪! 没義道! 冷酷!」
「うるさい」
「んむー!」

 隣でビービーと騒ぐ彼女の膨らんだ頬を両手で挟む。反抗的な瞳で睨んでくるアレキサンドラを見下ろしながら、アルマは微笑んでいた。
 どんな顔も「アレキらしい」。知らないものに目を輝かせるのも、新しいものを知るのが楽しくて走り回るのも、意地悪をされて必死に反発するのも。
 ああ、本当に可愛いなあ。

 は?

「……はあ……」
「え、何?」
「……何でもない……」

 アルマは頭を抱えて大きく息を吐いた。急に彼が俯くものだから、アレキサンドラは心配そうに覗き込んできたが、彼はそのまま手で顔を覆った。
 一瞬――今、一瞬、何を考えた? 頭に過った「間違った感情」を、彼は脳内で何度も否定する。これは、間違っているのだから。今のは一時の、一瞬の気の迷い……雰囲気に流されただけ。
 指の隙間から見える彼女は不安げな瞳でこちらを見つめている。大丈夫、「間違った感情」はもう無い。手を退けたアルマの表情は、いつも通り微妙に険しい無表情。
 胸の奥が痛む。

「……それより、ほら、さっさと外に出るぞ」

 咳払いをして、やっと絞り出した声は上擦った。アレキサンドラは安堵したような、名残惜しそうな顔でアルマに微笑みかける。

「ねえ、もうちょっと……もうちょっとだけ、ここでアルマと喋りたいなあ」

 甘えた声じゃなく、素直な願望がストレートに込められた声。いつものように適当にあしらおうとは思わなかった。事情を知ってか否か、黒猫は再び膝の上でうたた寝を始める。

「……仕方ないな、ほんとにちょっとだからな」
「やったー!」

 礼拝堂に響き渡る歓喜の声。少年の様に快活で、少女の様に可憐な声に、アルマは顔を少し傾けて微笑んだ。
 彼女の言葉に少し「嬉しい」と胸が高鳴るのは、間違った感情ではない。はにかんで見上げてくるアレキサンドラの頭を、彼はいつものように優しく撫でた。
 胸が少し、痛む気がするけれど。

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[2019/12/24 00:45] | ダイヤモンド・ライト | トラックバック(0) | コメント(0)
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