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トキワ、シュウマツドリ
創作置き場
監察者の手記



ブラオ・トレーネの光によって、我々は産み出されたらしい。
時に、少年(と思しき肉体を持ったもの)は、私にこう告げた。
蒼き光を放つ結晶体。その光は、深海のように冷たく、しかしどこか懐かしさを感じる暖かさを持っていた。
産み出された時の記憶は、少しながら私の中に存在していた。暗く深く、静かな胎内で、蒼き光を放つ結晶体は、少年の中に組み込まれていく。

ブラオ・トレーネ。それは、この世界の核であり、また永遠なる創造と破壊の環の核である。
全てを産み出し、受け入れる。だが、不完全なそれは、産み出したものを保てずに、崩壊に導く。
ブラオ・トレーネは、不完全でいて完成した存在であった。不完全故に、永遠なる創造と破壊を繰り返す。
私は、ただ見ていることしか出来ないのである。ブラオ・トレーネに産み出された監察者は、世界の流動を見守る存在でしかない。
時に、ブラオ・トレーネを持つ少年は言った。ブラオ・トレーネの定には、逆らえない、と。
言って仕舞えば、少年自体がブラオ・トレーネであった。少年は、自身の崩壊を止めることができず、永遠なる創造と破壊の環を産み出しているのだ。
時に、少年は言った。自分の中のブラオ・トレーネの一部を、永遠なる創造と破壊の環に組み込んだ、と。
組み込まれた一部は、本体の世界の崩壊後に、再び蒼き光を放つ、再生の力を持っていた。
本体と一部が融け合い、完全となったその時、永遠なる創造と破壊の環は終末を迎え、ブラオ・トレーネは永遠となる。
そうして、少年は自身を縛り付ける永遠から、解放されることを望んだ。しかし、その計画は、あまりにも不完全であった。
一部が崩壊すれば、本体の世界も崩壊する。本体から分離した一部は、余りにも脆すぎた。例え、崩壊を免れても、本体の世界の崩壊には耐え切れず、共に崩れてしまう。
残酷にも、結局は少年が永遠から逃れる事は許されない。私は、それを見守ることしか出来ないのだ。

果たして、永遠なる創造と破壊の環に、終末は訪れるのか。
私は、ただ見守ることしか出来ない。


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[2015/11/11 19:47] | 終末の話 | トラックバック(0) | コメント(0)
無題
少年は、死することが出来なかった。
否、死という概念は彼には存在せず、生命とというものを持ち合わせてはいない。
不死身、と言い表すのは相応しくない。そもそも、少年は少年ではなかった。
幼い人間、という形姿を纏った、何か。ヒトの真似をした、ヒトでは無いもの。
それは、言い表すことの出来る存在ではなかった。
それが世界に「存在」しているという事も、正確な表現ではない。敢えて例えるのならば、永遠に世界を創り続ける「システム」だろう。
システムに感情など宿るのか?それは、問うた。そうでなければ、この総ての神経を駆け巡るような痛みは何なのだ?その問いに、答える者は存在しない。
それは世界を生み出す歯車の核に過ぎず、ただ単調に同じ行為を続けるだけ。意思など関係なく、何千、何億と繰り返す。
そんな繰り返しの中、蓄積された莫大な記憶の中の、星屑のような一つを何度も思い返す度に、堪え難い痛みを覚えるのは、何故なのか。
慣性のように、義務のように、続けていた行為の中、繰り返される事を知っても尚、ただ一つの星屑を追い掛けてしまうのは、何故なのか。
本当は、繰り返したくないと思ってしまうのは、幸せな結末を望んでいるのは、何故なのか?

それは、ヒトで有りたかった。
ヒトの真似事は、残酷にもそれに「感情に似たもの」を与えてしまった。
理不尽な事に、それに課せられた義務は、永遠の創造と破壊だった。
幸せを手に入れかけたとして、必然的に待ち受ける破壊は、何度もそれに絶望の記憶を焼き付けた。
永遠なる創造と破壊の環に、終末は訪れるのか?
その問いに、答えられるものは存在しなかった。
[2015/11/01 20:58] | 終末の話 | トラックバック(0) | コメント(0)
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